「はかる・わかる・かわる」と「心をひとつに」

6月11日のイベントには多くの、しかも、かなり各方面でご活躍の、すごい人々にご参加いただきました。 緊張しましたが、素晴らしい機会をいただけましたこと、心から感謝しております。 ありがとうございました。 「かわる」ためにはどうするのか、という質問をいただきましたが、「はかる」の「前」に、「なぜ、はかるのか」を腹落ちしていることが必要だし、更に生産性を重視するのなら、「はからないでかわる効率的な方法はないか」を考えてほしいな、と思います。


あまり、似たようなセミナーで触れられないと思うのですが、昨日、強調した、ポピュレーションアプローチのいいところは、「選別する手間が省ける」ということです。

健康を含む人的資本と生産性を相乗的に高めるヘルシーカンパニー経営において、前半の人的資本を高めるだけにフォーカスして、そのために金や時間や手間などのコストを湯水のように使ってしまっては意味がありません。無計画な人的資本投資では、生産性は高まりません。当社のような専門性を賢い人的資本投資の参謀として利用してください。 また、逸脱する人にコストがかかるのは避けられないので、NO ONE BEHINDのためには、一般的な人々へのコストを、いかに節約するかが重要です。逸脱群へのコストはケチらないで、しっかりと専門家への報酬をはずんでほしいところです。そうでなければ、テクノロジーや専門性は前進しません。


ポピュレーションアプローチは、ひとつひとつの効果は小さくても、全員に関係するから組織の生産性への反映が大きいというのが味噌で、2SD外の個人に行う医療では、「血圧2mmHg下げます」なんて医者は最悪です。

ハイリスクストラテジーにも医療にも当然すばらしいポイントはありますが、ポピュレーションアプローチはまず、選ばなくていい、はからなくていい、わからなくていいのが最大の利点です。


医学&テクノロジーを用いた検査で、生命活動を可視化することは、「健康経営」とか、「ヘルスケアDXビジネス」とかに関心ある人々が飛びつきやすいですが、それでやった気になってしまっているから健診センターだけが儲かる構図ができてしまいます。 真の健康経営は、「はからない」、「わからない」、でも「かわっちゃう」というものです。


とはいえ、法定健診制度によって、「はからなければいけない」ルールがあるのだから、それは活かしたほうがいいです。 「はかる」の「前」に、「なぜ、はかるのか」を腹落ちしていることが必要と冒頭で書きましたが、法定検診の場合は、「法律で決まっているから」です。さらに、わざわざ健診機関に外注する理由は、一般企業では医療を内製できないから、です。項目は業務関連性の高い項目が選択されているのですが、それ以外にも付加的にオトクなポイントがあります。健診結果によって、自覚症状がないんだけど、早期発見早期治療することで人生の疾病リスクを大きく軽減できるチャンスに気づけること、その上、健診結果が、確実に疾病リスクを軽減するための7割引クーポンにもなるということです。しかも、経年変化を捉えられるよう、年に1回以上、受けられるおいしいルールです。 シンプルですが、「健診有所見は、自覚症状がなくても、自分の健康への投資に健康保険が使える医療の7割引クーポン」です。 クーポンを得た個人は、自律的にかわってもらいます。使うのも使わないのも自由ですけど、使わないのはもったいないでしょう。 都民割に予約が殺到しているようですが、健診割のほうが、よっぽどオトクです。 健診割という保険サービスもあるようです。保険は未来の医療費によって生活費が逼迫するリスクを下げられるかもしれませんが、疾病リスクを下げられるわけではありません。 健診割医療は疾病リスク低減を介して、医療費によって生活費が逼迫するリスクも下げられるので、掛け捨て保険よりずっとオトクです。


講演後のやり取りで参加者のお一人が教えてくださったのは、「『かわる』を自分ごとにする」という価値です。


「はかる」のは血液検査、「わかる」のは、「LDLコレステロールが高いと、心筋梗塞など疾病リスクが高まるので、受診し、内服して、生活習慣を改善して、下げることで、よりよい人生が送れる」という知識と考えると、ここまでは、他人の力を借りる必要がありますが、最後の「かわる」=「内服する、生活習慣を改善する」になると、かなり本人割合がメインです。 もちろん、副作用や効果の判定、手段の適正化は医師と伴走する必要があります。


受診しても目標降圧達成が半分という事実からわかるように、自分ごとになっていないと受診しても変われないんです。私は医師が悪いと思っていますが、患者には、受診で完結するのではなく、受診の質によって自分の受ける治療や結果、人生への影響が「変わる」ことを知ってもらいですね。

もう一つは、「格差の少ない、結束力の強い組織」というのは、多様性を否定しているのではないかという、実は、私が一番、気になったまま講演してしまった部分の核心を突くご質問でした。


先日、工藤勇一先生の以下の投稿をFBでシェアしました。

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「みんな違っていい」は対立を覚悟すること。

「心をひとつに」はそれとは真逆の考え方。

多様性を心の教育で解決できると信じている教育は乱暴すぎる。

共通の目的を探し出す、粘り強い対話の力こそ必要だ。

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格差の少ない、結束力の高い組織では、本人のパーソナリティに関わらず、メンバーが健康になるという話は、けっして、「心をひとつにできない者は去れ」という排他主義ではなく、「内心どう思っててもいいけど、うちの社員という身分でいる間は、このルールを守ってね」といって、科学的エビデンスのある適切なルールを設定すれば、それだけで、従業員が健康になる、従業員が健康になれば組織の生産性が上がることはすでに証明されているから、ルールの設定によって、組織の生産性を上げるのも経営戦略のひとつだよ、という意味なのですが、表現は迷っているところでした。


これも視聴者のお一人が、「心を一つにできる、などと本気で思ってたら、アブナイ人だよね。」と、非常に腹落ちする一言をくださいました。


ポピュレーションアプローチは心をひとつにしようとする新興宗教でもなんでもなくて、特例への対応というのは絶対にコストがかかる分、特例の発現頻度を減らしていくことがコスト・イフェクティヴだという、守銭奴な発想です。

私はよくクライアント従業員との面談で、妄想ではどんなひどいことをしても自由、心の中までは会社は管理できない、と言っています。また、ルールを設定していないとすれば会社の落ち度なので、やっちゃいけないという規定がないけど、上流の法令に違反していなくて、やっちゃいけなそうなことは、やってしまってもいい、と言ってます。最初にやっちゃう人が出れば、会社もルールの必要性に気付くだろうし、それでルールを制定できれば、結果として会社の利益になります。だから、現行の法令、そして社内規定を破らない前提で、可能な限り不良社員になればいいよ、とその場ではアドバイスしますが、会社にもちゃんと、この部分、ルール抜けてるよ、と告げ口します。でも、すぐにルールを作れる会社は少ないですね、ルールをしめつけだと考えてしまうのかもしれませんが、私は従業員を守り、従業員の人的資本を高めるルール以外は不要だし、そんなルールなら、いくら制定しても従業員のためにしかならないと思っています。

とはいえ、辻褄の合わないルールや、ルールのくせに「原則として」なんて書いてあるルールは言語道断です。ルールを制定するのも、改定するのも、削除するのも、スピード重視です。

「モラルの高い組織の従業員は健康で、組織の生産性が高い」という科学的エビデンスが、ヘルシーカンパニー経営の背景ですが、モラルの高くない人間でも、モラル高めの組織に属していれば健康になってしまいます。反対にモラルが高くて、だからこそ高邁な精神でモラル低めの組織を変革しようと努力している人がいるとすれば、その人は組織を変わった時点で疾病リスクが増えてしまうというのが、コンテクスチュアルな科学的エビデンスです。


また、逸脱群への対応というのは一般化できない分、とにかくコストがかかるし、疫学的な科学的エビデンスはあてはまらず、医療のように生身の人間ひとりひとりへの対応力を上げるためには、経験を積むしかありません。心はひとつじゃなくてもいいんですけど、とりあえず、簡単なローカルルールで組織内の人間の行動をまあまあ好ましい方向に誘導するという作戦が、組織においては必要になってくると思います。 高校の友人がインタビューに答えて、「リテラシーがきちんと一人ひとりの中にあれば、ルールなんか作らなくたってよい」と話していました。まったくもってその通りなのですが、「一人ひとりの中にリテラシーをしっかり内製させる」というプロセスが果てしなく難しくて、ルールつくったほうが楽なんじゃないか、と私は考えてしまいます。 正解はないので、各組織が、メンバーの多様性に合わせたルール作りをしていけばいいのだと思います。

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