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健康経営とポピュレーションアプローチ(1)Ver. 3

明確に規定された人間集団の健康を向上するため、その管理者に施策を提案し、実行を支援するのが公衆衛生家の役割


心陽は公衆衛生と臨床医療の専門性を健康経営支援の強みとしています。

公衆衛生とは人間の集団を統括する管理者に対して、その集団内の人間の健康を向上するための具体的な作戦を提案して、実行を支援することです。

集団外の人間である公衆衛生家が、集団との利益相反のある管理者を説得するのには、科学的な根拠と現実的な妥当性が重要です。


今年になって新型コロナウイルス感染症が世界的に流行し、「公衆衛生」や「疫学」という言葉を耳にする機会が、どなたも増えたのではないでしょうか。

とはいえ先日、国際医療福祉大学・大学院公衆衛生学教授の和田先生がNHKに出演されたとき、「感染症の専門家」と紹介されたので、「ちがいます、私は『公衆衛生』の専門家です」と反論したそうですが、「だれもわかんないんで、『感染症』でお願いします」と押し切られてしまったそうです。


こういう時勢だからこそ、あらためて公衆衛生という概念を見つめ直し、健康経営とポピュレーションアプローチへの誤解を払拭して、心陽にできる公衆衛生(社会不衛生予防、社会の元気の向上)策を提案したい、と思いまして、2018年3月に3回シリーズでお送りした健康経営とポピュレーションアプローチを加筆修正してお届けします。


健康経営とポピュレーションアプローチ(1)2020年バージョン _ 本邦唯一、公
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健康経営とポピュレーションアプローチ(1) _ 本邦唯一、公衆衛生学と臨床医療に
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私は MD(医師)として1999年から急性期臨床に従事していましたが、2015年にイチロー・カワチ先生と出逢うまで、公衆衛生について、ほとんど何も知りませんでした。

臨床家が公衆衛生を知らないという絶対的事実は、非医療者には意外かもしれませんね。無知や不勉強だから知らないのではなく、独立した別の学問だから知りませんし、概念的にはかなり異なるアプローチです。それぞれがそれぞれを知らないほうが、雑音なくエキスパートとしてそれぞれの専門分野に専念、精通できるものです。

臨床医療と公衆衛生はまったく独立した概念だという前提をまず、共有した上で、ぜひ、両視点を持つ心陽の強みを評価&批判してください。


シンプルには、人を見るか集団を見るかが医療と公衆衛生の違いです。 それでは、人と集団は何が異なるのでしょうか。


会社という集団を図示してみます。会社という「くくり(枠)」を外側の大きな円として、従業員を内側のさまざまな色の小さな円として表現した図です。 人は集団の構造ですが、集団(枠の内側)には人以外の成分が含まれます。 最初の図は、人の多様性を反映して、従業員を示す円をさまざまな色で塗り分けました。 しかし、枠内の背景が整理されていないので、従業員の姿は、埋もれています。


このうやむやな背景のまま、従業員の個性を排除し、全員、同じ白に塗ると、従業員の数は数えやすくなります。つまり、上の図より、一部の管理が容易になります。(2番目の図)

従業員を単色に塗ることを育成と勘違いしてはいけません。従業員が全員同じ色なんて、まったく面白みがなく、会社は成長できません。 3番目の図では、背景を整理し統一しました。 背景が整うと、1番の図で従業員の姿や個性を消していたのは背景だったと一目瞭然です。 枠内の背景はすなわち、職場環境です。 背景に人は含まれず、温度や湿度、照度などの物理的な環境と、人と人、人と会社の「関係」という心理社会的環境、人がいなくては存在しない、社会の「気」が満ちています。

集団内の人ではなく、背景を操作して集団内の人々を健康にするのが公衆衛生、人(医者)が人を一対一で診療して、一人ずつ健康にするのが医療です。

どのような人たるかを決めるのは本人ですが、会社における望ましい関係については、背景の色を統一することで従業員に簡単に伝えることができます。白一色の従業員の背景を統一することで、先の2図よりは個人が生きてくるのがわかりますよね。


最後の円は、従業員の色を最初の色に戻しました。従業員の人数はもちろん、その多様性が明らかです。

会社が多様な従業員の個性を活かしたいときこそ、その理念や価値観によって、会社の色を明確にしましょう。会社が曖昧な色のままだと、せっかくの従業員の個性が引き立ちません。会社から見ても、従業員同士でも、会社の色がビシッと決まっている方が、それぞれの色をはっきりと認識できるのです。

優れた職場環境は個々の従業員を尊重し、その多様な個性を引き立てます。


物理的な環境ではなく、心理社会的な環境を整える最適な人物は経営者です。また、その経営者の意思に従って、従業員個人がそれぞれ、会社に意見を伝えることもできるでしょう。もう少し赤みがほしい、もう少し明度がほしい、と意見を出し合い、自分たちで会社の色を少しずつ変えていくことができるのです。

自分にとって快適で、同時に周囲にとっても快適な環境、そういう色に大きな円の内側を染めることによって、私達は心理社会的に安心し、より心身社会的な健康を獲得できます。 「ティール組織」という概念が流行りましたが、ティールは青緑色です。この理論では、他のタイプの組織が色んな色に例えられています。

まさに組織の背景色がメンバーの個人的な生命活動や心理社会的な関係性に大いに関わるのです。


コロナ禍の報道はかなり混乱しています。

たまたま、かなり限定的な周術期臨床【個人への介入】と公衆衛生(特に産業保健)【集団への介入】のどちらも経験した医師として、その原因は、社会(集団)が暴露している新型コロナウイルスの流行という現象(心理社会的環境変化:大きな丸の色の変化)と個人における新型コロナウイルス感染(疾病:一部の個人レベルの色の変化)への治療(個人的な介入)の混同があると思います。

もともと日本の健康管理は、個人に対する医療がメインでした。リスク因子の影響や介入の効果を個人レベルで測定するのが得意な一方で、環境などの社会(集団)的なリスク因子や介入に対する集団や個人への影響を測定するのは苦手で、集団レベルの測定結果を個人への介入の単純な集積と混同してしまう傾向があります。


とはいえ、もっと古くから日本の誇る「絆」の文化は、集団の影響が個人レベルの健康におおいに関与することを示唆するものです。

向こう三軒両隣、隣組、長屋・・・当たり前に社会の子供を社会で育てる、社会の病人を社会でケアするような文化が根付いているのです。

私自身は、人体も組織も同じ自律分散構造の有機体だからこそ、共通して向上のための介入ができる部分が多いと信じています。医師に企業の何がわかると経営者に罵倒されても、標準生理を知る医師だからこそできる組織へのサポートがあると考えています。実際に行動する、治癒する主語は患者本人、組織自体なので、医師含めコンサルタントにできることは、知識や経験、技術を生かした自律的な行動へのサポートだけなのです。

集団における集団免疫と、個人における免疫システムは全く異なる概念です。疑いを含めた感染には医療的介入の出番を検討するべきですし、そこに限定的な専門性の高いリソースを集約しなければなりませんが、私達は日々、集団の構成因子として行動変容することが大切で、そこに難しい医療知識や技術はいりません。

いわば私達各自が自律的に集団の構成要素として、行動変容を通して、社会に対して行おうとしているのは公衆衛生(=公衆不衛生の予防)であり、社会的処方、社会的ワクチン、社会的健康行動と呼ぶべきものです。そしてこれらの治療には当然、医師免許も看護師免許も不要、誰でもできるのです。


医療は正常生理や解剖、すなわち人体の仕組みについての基礎的な知識を有した上で、まずは生命の恒常性の維持(死なないこと)を第一目的に、介入の必要な正常からの逸脱を正常に近づけようとするもので、そこには特別な知識や技術、経験、資格などが必要です。誰もがやってしまうとえらいことになっちゃいます。ただし、この人体の仕組みと、いわゆる「健康」とは全く別の概念であって、健康は「みんなちがってみんないい」んです。


ハイリスク戦略とポピュレーションアプローチ


医療は人、公衆衛生はその周りの環境、人と人との繋がり、社会を対象にするものだと説明しましたが、次にハイリスク戦略とポピュレーションアプローチを見ていきましょう。


例えばこちらは「日本の人事部」による健康経営辞典の説明です。こういったサイトから拾ってきた内容を社内で展開して健康経営理解を進めていってしまう企業が多いようですね。


「ハイリスクアプローチ」と「ポピュレーションアプローチ」は、健康管理の領域で用いられる手法です。ハイリスクアプローチは、健康リスクを抱えた人をスクリーニングし、該当者に行動変容をうながすこと。ポピュレーションアプローチは、リスクの有無にかかわらず、集団に対して同一の環境整備などを指導することをいいます。例えば、健康診断で血圧や血糖値の高かった人を対象に健康指導を行うことがハイリスクアプローチ。健康増進を目的に、会社全体でスポーツ大会を行うことはポピュレーションアプローチに該当します。


このような「ポピュラーサイエンス」がこの世界では一般的で、スクリーニングするとは検査で分別することで、「ハイリスクアプローチ」という表現はマイナーです。

「ハイリスク戦略(ストラテジー)」と「ポピュレーションアプローチ」は公衆衛生(←健康管理の領域)上の介入のスタイルを示しています。

ハイリスク戦略では、何らかの基準(スクリーニング結果のカットオフポイント)を設けた上で、集団内の人間を対象者と非対象者に選別します。

そして特定の対象者にのみ介入する方法がハイリスク戦略、その選別プロセスを行わず、集団全体にたいして介入するのがポピュレーションアプローチです。

会社全体に呼びかけてスポーツ大会を行っても参加者が健康意識の高い従業員や運動が好きな従業員だけだった場合、ポピュレーションアプローチと表現するかどうかは微妙ですが、まあ、絶対的な定義はありません。

一方で、全社ではなく会社の一部署の全従業員で「サンクス・カード制度」を導入した場合、これが全社に波及してもしなくても、ポピュレーションアプローチです。一部署という特定の集団内に含まれるメンバー全員を、スクリーニングプロセスを経ずに、等しく巻き込んでいるからです。

福利厚生という表現も健康経営と混同されやすいものですが、結果的に全社員が参加しなくても、全社員に声がけする(機会を与える)ヘルスプロモーションプログラムの運営費用を福利厚生費とするのは問題ありません。

一方でBMI30以上の社員にのみ万歩計を配るようなハイリスク戦略に用いる費用は、現物支給の給与として処理する必要があります。スクリーニングしないで、不要な従業員に拒否権を与えて全員に配るとアナウンスする万歩計費用は、福利厚生費にしてもよいでしょう。


ハイリスク戦略にはハイリスク者をふりわけるためのスクリーニングが必要です。みかん箱の中のみかんを全部チェックして、腐っているみかんと腐っていないみかんに分けて、腐っているみかんを廃棄して残りを出荷するのはハイリスク戦略ですね。腐っているかどうかをスクリーニングするプロセスが必要です。そのプロセスには費用がかかります。そして、完璧なスクリーニングプロセスはありません。みかんの価値を決める要因は本来かなり多様なわけで、スクリーニングの時点で腐っているかどうかだけでみかんを判断してしまうという危険性があります。

健康リスクを抱えた人をスクリーニングするのは簡単そうに見えて、なかなか難しいものですし、健康リスクは人的資本として人体の内側に抱えているものの他、心理社会的な環境、つまり周囲の人や環境との関係性にも左右されることがわかっています。

SDH(健康の社会決定要因)という表現が一般的ですが、現代社会に生きる私達は社会的な環境の影響を受けます。

現在の感染症の流行もこれだけ世界の人々が行き交う暮らしではなかったら局所的にとどまったかもしれませんし、それこそ誰とも接触しない生活なら感染することはありません。

COVID19は私達に、環境と個人の健康リスクの関係を教えてくれましたね。

たとえば新型コロナウイルス感染症が肺炎リスクを高めるので、家の外に出ないようにロックダウンするのはポピュレーションアプローチ、スクリーニングの結果、新型コロナウイルスに感染している人を感染していない人とは異なる方法(宿泊施設など)で観察するのはハイリスク戦略、肺炎になってしまった人を治療するのは医療(図の頂点)です。医療機関でしかできないのは医療だけです。 皆さんも随分、PCR検査の偽陰性(本当は感染しているのに、検査の結果では感染していないと出てしまうこと)について詳しくなったと思います。つまり、どんなに高度なスクリーニングでも本来介入するべき人を取りこぼしてしまう可能性と、介入しなくてもいい人を誤って取り込んでしまう可能性を孕んでいます。

毎日の検温をルール化している施設は多いですが、たとえば腋窩体温計の感度は42%ですから、発熱している100人中、58人が「発熱していない」と評価されてしまうリスクがあります。

一方で現在、世界中で進められている Social Distancing(社会的距離の確保)や、手指衛生に努めること、粘膜、特に顔を手指で触らないように気をつけること、マスクの着用などは、感染することやさせることを予防でき、すでに感染している人が実践してもなんらまずいことはありません。これらの社会的対策はスクリーニングを経るものではなく、まさにポピュレーションアプローチで行うことです。こちらの動画ではこのような社会的な対策を社会的ワクチンと呼んでいて、私はこの表現がすごく腹落ちしました。

集団免疫という表現も皆様、馴染みが出てきたかと思いますし、前段でも触れましたが、免疫学上の効力を発揮する医学的な集団免疫だけでなく、心理社会的な集団免疫的効果が存在することが科学的にさまざまな場面で明らかになっていて、セミナーでは必ずそのお話をします。自らが自らを守る姿勢が社会全体を守ることになるこの考え方は社会を生きる私達に今、まさに必要な感覚です。


日本の健康管理は、特定有害物質やハザードの特定及び回避と責任体制の明確化で労災をどんどん減らした安衛法を手本にしているからか、ハイリスク戦略が大好きで、私達はそれに慣らされているところがあり、今も精度のわからない検査を求める傾向が強く、その需要に乗っかって怪しい検査キットが販売されてしまいます。検査の感度や特異度の検証はプロの検体採取によって行われるので、検体採取の手技に差が出る咽頭ぬぐい液のような検体で行う正当な検査を素人が用いるだけで評価は修飾されます。


わざわざハイリスク戦略を選択するからにはそこにスクリーニングプロセスを経てでも抽出したい課題があり、その解決はポピュレーションアプローチではかなわない、現実的ではない内容を盛り込むのが望ましいでしょう。 たとえば健診結果によって血圧の高い人を選んで減塩ダイエットを、残りの人から高BMIの人を選んで低糖質ダイエットを指導するような計画はあまり賢い方法ではなく、誰にとっても望ましい塩分や糖質に関する正しいダイエットを全員に共有するほうが、将来に渡ってその知識は本人だけでなく家族や周囲の人々にとっても財産になるでしょう。

私が監修した一般的な低糖質と減塩のダイエット記事はこちらです。

陽だまり_p29-30_血糖値_0221
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HTN陽だまりvol10_29-30_健康TOPICS_0303
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Geoffrey Rose  Rose's Strategy of Preventive Medicine


ポピュレーションアプローチの理解のためにはまず、ジェフリー・ローズ先生の予防医療の歴史的名著について触れなければなりません。

社会医学のバイブルとも言えるこの名著は邦語訳され、その訳文も平易でワクワクする素晴らしいものです。非医療者でも読みやすく予防医療のなんたるか、そして真の健康経営とは何かが腑に落ちるものですから、ぜひご一読下さい。

この邦題こそ「健康経営そのもの」です。

健康経営には土台となるいくつかの考え方、概念があり、ローズ先生の主張は職域に限ったことではないのですが、この考えを職域に適用すると同じ1992年のRobert. H Rosen先生によるHealthy Companyになります。 奇しくも両先生とも名前にROSEが。。。正しい健康経営の先にある、バラ色の職域が目に浮かぶようです。

今回の騒動で、公衆衛生おもしろそうだな、と思った方はぜひ、この本を読んでみてください。


日本疫学会によると、疫学とは、「明確に規定された人間集団の中で出現する健康関連のいろいろな事象の頻度と分布およびそれらに影響を与える要因を明らかにして、健康関連の諸問題に対する有効な対策樹立に役立てるための科学」と定義されます。 古い記録では下に示す1854年、ロンドンにおけるコレラ伝播様式の解明や、1950~60年代、イギリスでの追跡調査による喫煙と肺がんの因果関係の解明などへの貢献が挙げられます。 私の理解ではまず疫学が未知の事象の頻度と分布を明らかにすることで、そこに科学が投入されて医療となる順序が多いと理解しています。次回の血圧に関する疫学研究がわかりやすいでしょう。


John Snow Pioneer Anaesthetist and Epidemiologist


図を見てわかるとおり、ちょうど次回触れるルーズベルトが亡くなった1945年を境に、世界の死因に大きな変化が見られます。


最も皮肉なのはその辺りでデータが飛んでいること、戦争の恐ろしさはこんなデータからも「途切れ」として垣間見ることができます。

これはひとつの疫学データです。

これでわかることは、世界の健康への脅威は結核や胃腸炎、肺炎という衛生要因による一元的な感染症から、心理社会的な要因が多元的に作用する悪性新生物と生活習慣病の果ての心血管疾患にシフトしていることがわかります。

感染症が解決できたから、感染症からsurviveする人が増え、これらの疾患を発症するまで元気でいるのも一因です。

感染症が解決できたのと同じ集団免疫の強化で、心理社会的な疾患も充分に解決に近づきます。心理社会的不健康リスクの集団免疫強化については、近いうちに公開しますので、楽しみにして下さい。

また、現在の健康脅威は感染症でも高血圧でもなく、孤独です。こちらの話題も健康経営に大いに関連しますので、いずれ触れましょう。コロナ禍では若年層のほうが孤独を感じているという調査結果があります。


ルーズベルトの死からさらに90年さかのぼる1854年、世界最初のビジネス麻酔科医でもある敬愛するジョン・スノー先生は、特定の井戸の周囲でコレラが発生していることに気付きます。

ローズ先生の「予防医学のストラテジー」にもごくごく最初にスノーの名前が登場します。

その井戸は近隣でちょっと評判の、おいしい水の出る井戸で、もっと近い井戸があるのに水を汲みに来る人もいました。そしてグルメな彼らは、彼らの地域では珍しく、コレラに罹患します。 スノー先生は「明確に規定された人間集団=特定の井戸の水を飲んでいる集団」の中で出現する「健康関連の事象=激しい水様性下痢による脱水症状」の頻度と分布を観察しました。

そう、スノーはフリーランス麻酔科医の父であると同時に疫学の父でもあるのですね。

「この井戸から水を飲むな!」と叫んだスノー先生は、完全に炎上し、ディスられまくります。

そりゃそうですよね、当時、まだ「感染症」という概念はなく、コレラの原因は行いが悪いからとか、目に見えない邪悪な空気のせいとか言われていました。水とコレラを結びつけて考えるきっかけさえ、全くありません。 グルメの間で評判のおいしい井戸水を飲むなと言われりゃ、「ウザい」以外の感想はありません。

それでも正義のスノー先生はなんとか井戸の水を飲ませまいとして、くみ上げポンプの柄(え・ハンドル)を折ります! かっこいい!!!

こういうところ、行動経済学の父と言ってもいいんじゃないでしょうか。めちゃくちゃ私のツボです。

で、また炎上・・・・・・麻酔科の父、疫学の父、ビジネス視点の医療の父であり、エリザベス女王の無痛分娩まで行ないながら、けっこうディスられまくり、炎上しまくりの人生でした。(そこもなんとなく共感)

スノー先生は「麻酔科医と疫学者のパイオニア」と紹介されることが多いのですが、まさに私にとって父のような存在です。


ほどなく井戸の周囲で大流行していたコレラは鎮圧されますが、誰もスノー先生を褒めませんでした。あいかわらずの変人扱いです。

当時、コレラが蔓延するのはオカルト的大気汚染みたいなものが理由だと信じられていて、非道徳的な人の存在によって発生する毒気みたいなものが人々の体をむしばむのだと本気で考えられていて、それがゆえに魔女狩り的な発想につながっていました。

感染症という概念がこの世にないときに、毎日の生活の糧である水が原因だと疑うなんて、いくら鮮明な疫学データがあってもよほどの変態、もとい天才じゃないとできません。

病因としての感染とその対策の発見も、病因(リスク)としての高血圧とその対策の発見も、同様に、前提に疫学研究ありきなんですね。疫学データがあってはじめて疑うことができるのです。

スノー先生は特定の井戸、また特定の水道会社とコレラの関係から、致死的脱水に至る下痢症候群の原因を「飲み水」と見当しました。

コロンブスのたまご同様、血圧もコレラも正解を知っている私たちには滑稽にさえ映る攻防ですが、現代、私たちが恩恵にあずかっている医療の背景にはたくさんのドラマがあったのですね。


ところで井戸の柄を折るスノー先生の行動、これってガチのポピュレーションアプローチです。

組織開発と言ってもいいですね。

しかも一点の介入で集団内の全員に効果を及ぼす非常に効率的で経済効果の高い介入方法です。

「なぜこの井戸の水を飲まないほうがいいのか」を説明して納得させる、なんていう方法を好む経営者が多いのですが、そんなことをくだくだやっている暇があれば、まさに経営者主導のポピュレーションアプローチとして、ハンドルを壊すような健康経営を実践してほしいものです。


スノー先生の知恵と勘が当たっていても、井戸の柄を折って飲水を止めなければコレラは鎮圧できませんでした。同時に、経営者に医学知識がなくても、柄さえ折れば、多くの従業員の命を助けられるのです。

従業員は経営者の指示に従います。それが契約です。

現在、PCRを拒絶するよう指示する企業があるそうです。風評被害を避けているつもりかもしれませんがまさに笑止千万、悪いと知ってて井戸の水を垂れ流すような行為です。慎んでください。


今こそトップマネジメントがハンドルを折り、従業員を守るときです。

従業員を守る行動が、社会全体を守る行動につながります。 本当の健康経営とはなにかに向き合うよいきっかけですから、ぜひ企業内に社会的ワクチンを集団接種してください。

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