34)ノームの力

最終更新: 2020年12月21日

心理社会的環境を左右するのはノームだ。


天国と地獄には同じ物的資源があったが、別のノームがあった。


ノーム(Norm)は、社会的規範や標準と訳されるが、似た言葉であるノーマル(Normal)から連想していくとわかりやすい。

この場では、これがふつう、一般的でノーマルだよね、という暗黙の了解で、正常とか正解とか異常ではないという表現以上に、みんながやっているから、いいよね、的な雰囲気だ。

たとえルールがあっても、みんな守ってないからいいよね、という雰囲気を場のみんなが共有してしまえば、誰も守らない。


私はいつも、ノームを説明するとき、「赤信号、みんなで渡ればこわくない」という1980年台に流行したビートたけしのギャグを用いる。ノームの生成過程を非常にわかりやすく語っているし、ネタになるほどおもしろいという点でもノームの特徴をつかんでいる。ノームはルールや科学的エビデンスと違って妥当性や合理性ではなく、システム1で心を捉えるかどうかが肝腎なのだ。


オシャレな人がアシンメトリーな髪型で歩くと、みんなが真似をするという話をしたが、これもまたノームだ。当時のツービートはまさに時の人、面白おかしくキャッチーなフレーズは、すぐに人々を虜にする。


計画的行動理論(Theory of Planned Behavior: TPB)によると、人の行動は、まずその行動をしたい、しよう、したほうが得というような態度(Attitude)、その行動に対するノーム(Norm)、実行が容易か、障害がないかという自己コントロール感(Control)によって決定する。


赤信号では停止するという制度やルールは、態度に対しては「法律を守りたい」や「法律は守るもの」、コントロール感に対しては「法律を破るのはハードルが高い」や「法律を守らないと罰される」という方向に働くと守られるが、そのためには、「法律を守って当たり前」というノームが前提となる。


しかし、「みんなで渡ればこわくない」という爆発的に流行しているフレーズを楽しみ、車通りの少ない信号を、みんなが赤信号で渡っているとき、「渡るのがフツー」、「渡らないほうが変人」、「渡らないと目立つ」ことになり、態度は「目立ちたくない」、「仲間はずれになりたくない」、コントロール感は「渡っちゃったほうが楽」、「渡る障害はない」、「渡れる」という方向に動く。


そのうち、むしろ赤信号で渡るのが当たり前になってしまって、しまいには誰も信号を見なくなる。それどころか赤で渡っているときに、正しい選択をしている気になって、安心を覚えるようにすらなってしまう。 本来、安全を確保するための信号が、ノームによって通行者をむしろ危険にさらしてしまう。

こうなった場合、交通上、この信号は撤去するほうが安全だ。

信号さえなければ、渡るときに誰もが一応、左右を確認する。


このように不合理なノームの形成によって、せっかく目的を持って設置したルールや規則が、正反対の影響を及ぼしてしまうリスクがある。それを避けるためには、信号を設置する前に、安全第一というノームをつくることだ。うまくいけば、ノームだけで交通安全は守れる。その場合、信号の設置コストに、もっと有意義な使い道を与えられるかもしれない。

順番を誤ると、結局、信号を撤去する羽目になる。


ところが、多くの日本企業では、ノームより、ルールや制度が重んじられがちだ。

ルールや制度は、設置するだけで、仕事をした感が出るので、アリバイ好きの人々にはもってこいだ。


たとえば、米国ペプシ社のある支社では、テレビ広告をやめて、有給休暇を増やし、従業員のボランティアを奨励した。従業員たちはボランティア先で誇らしげに自社の姿勢を語り、感銘を受けたボランティアのスタジアムや劇場が、その後、こぞって大量発注してくれた。結果、従業員と企業、地域の健康と生産性は向上した。


これは先に、ノームを作った好例だ。


それを経営者の気まぐれで上辺だけ真似て、ボランティア休暇制度だけを制定しても、従業員は誰も取得しない。ボランティアは義務ではなく、単なる推奨だった。 テレビ広告費を余剰の有給休暇に充てると宣言したから、従業員は企業の本気を感じた。 財源がなければ、現実味はない。 単純に、いつもの未消化の有給の名称が変わっただけで、誰の気持ちも盛り上がらない。 会社への信頼を作ったのはボランティア休暇の制度ではない、経営者の本気だ。


また、真剣にボランティアを奨励するノームを形成しようと言い出す経営者がいても、障害の予測ばかり羅列する連中から横やりが入る。これは本末転倒で、本当にそのノームを作りたいのなら、障害を見つけたらやっつければいいだけだ。

障害があるから奨励しないほうがいいと言っていたら何もできない。おもしろい発見があるかもしれないからやってみようの精神で、先回りして障害をクリアし、ノーム形成の本気度を見せよう。



もうひとつ、ノームを操作して、組織内の個人を自律的に動かす例を示そう。


近年、従業員個人の「自分磨き」を支援する制度を取り入れている企業が増えているが、よさそうな制度だからといって、従業員の機嫌を取るために制定してはいけない。制度は手段であって、制度作成や制定はプロセス、いずれにせよ目的ではない。制度を制定するなら、従業員に制度の目的や真意を明確に伝え、有効で賢い利用方法を支援する責任がある。つまり、先に本気を見せて、ノームをつくる。


制度は人を縛るが、行動を促すものではない。制度があっても、ノームがなければ、人は動かない。

制度を作る前に、従業員が、自分磨きに対して前向きになるような風土づくりを優先する。ペプシ社の社員であることを誇りに感じて、ボランティア先で思わず我が社自慢をしてしまうような、自社の社員であることの価値を創造する。価値ある存在である以上、就業時間に業務に集中し、就業時間外には現在の業務には直結しない自分磨きをする。自分が自分の価値を積極的に維持して、高い価値として買ってくれている経営者に応えたい。組織と従業員が互いに常にその価値を高め合う雰囲気を作る。


本来、就業時間外の行動を指示する権利は企業にはない。 だから、就業時間外に「自分磨きをしろ」なんて指示はおかしい。会社の指示命令によって行う行動はすべて業務であり、対償が必要だ。


もちろん、就業時間外の自分磨きは、重要だ。


磨かなければ、どんな原石も意味をなさない。自分を磨いて、核をさらけ出す。足すのではなく、削る、引く。

つまり、自分を磨くというのは本来、けっこう怖いことで、磨いた結果、芯とか核とか光り輝くダイヤモンドとかが出てくる確証があるわけではない。磨いたその先はからっぽの無で、存在そのものが消え失せてしまうかもしれない。中身のない人間がやると消えてしまう。自分磨きは芯を持つ者の特権ともいえる。


それを奨励するからには、どの従業員にも、余分やムダを摩擦で取り除き、芯となる本質的な価値、真髄を剥き出し、それを最大限に活かして社会の役に立つポテンシャルがあると、経営者が本気で信頼することだ。健康と生産性にとって、身だしなみを整えることはおおいにけっこうだが、エステに行くとか、ファッションに気をつかうとかは、自分磨きではなく、磨くとは正反対の、表面に自分ではないものを塗って、芯を覆い隠して保護する行為だ。

最悪のケースでは、業務外の自分磨きの制度化によって、業務に負の影響が出てしまうなんて、冗談みたいな結果が起こりかねない。


普段通りの心理社会的環境作りをすれば、従業員は勝手に自分を磨くという、よいエビデンスを紹介しよう。

リクルートキャリア・リクルートワークス研究所が行なった「働く喜び調査」によると、「職場の同僚と相互に刺激を与え合いながら成長する関係を築いている」と自覚している社会人は、そうは感じられていない社会人の1.3倍、自主的な学びを行なう確率が高かった。

同様に、「上司は、私の将来のキャリアイメージや、実現したいことを知ろうとしてくれている」、「自分の特徴を客観的に把握するためのフィードバックを受けることが多い」、「個々人の目標が明確である」、「職場では仕事内容や成果への関心が高い」では1.3倍、「チームや組織全員の目標が明確である」、「上司は仕事のプロセスについて正当に評価してくれている」では1.2倍という結果だった。





一方で、自主的な学びの制度化や、希望者が受講する自分磨きセミナーの効果を定量した研究を私は知らない。古く公衆衛生にある、介入のハシゴでは、リテラシーを与える介入は何もしないよりはマシ、インセンティブのある制度化はリテラシーより効くが、罰則のほうがさらに効く。多くの自主参加プログラムのように制度やセミナーに数%の意識高い系従業員しか参加していなければ、効果は出づらいだろう。

「北風と太陽」の童話にもあるように、矯正よりも自立を促すほうが話は早い。

真に自発的な学びを促す組織でありたいのなら、制度ではなくノームをつくるほうが近道である。




さらに、おもしろい例を示そう。これもエビデンスである。

ある保育園では、定時の16時のお迎えに遅れてくる保護者がいることが課題だった。

毎日、きちんと定時前に子どもを引き取りに来る、圧倒的多数の他の保護者にも申し訳ないし、遅れてくる時間がわずかなので、遅刻にたいした理由はなさそうだ。それならば、ほんの少しの意識の変化で、遅刻はなくせそうだと考えた保育園は、定時に遅れた保護者から、罰金を徴収する制度を設けることにした。これは介入のハシゴでいえば罰則なので、なかなか効果が高いはずだ。


さて、その顛末が想像できただろうか。


お金を払って子どもを定時に預けている親は、定時に引き取りに来なければいけないという自覚を持っていた。それでも、ついつい約束に遅れてしまう癖のある保護者はいるものだ。遅れる度に悪いとは思っていたが、毎日、ついうっかりしてしまう。 その状態で、次回から遅れた場合には追加料金が必要ときけば、保育園側は一種の罰則のつもりでも、親にとっては延長料金として認識できるので、むしろ今後は後ろめたい思いをせずに正々堂々、保育園に仕事と収入を与えるよい客としてふるまうことができる。 わずかな料金でこれまで罪悪感が払拭されるので、遅れがちだった保護者は、免罪符を得て、みるみるもっと遅れるようになった。

そして、遅れることのなかった保護者たちは、良識ある正当な保護者から、延長料金をケチる吝嗇な親としてその名誉を奪われ、定時に来る動機をなくしてしまった。

遅れる保護者の人数も、遅れる時間も、減るどころか増え続けるのにあわてた保育園側は、制度を約3か月で撤廃した。


さて、次の展開は予想できただろうか。


遅れる人の割合と遅れ幅、それぞれ制度開始前に戻ることはなく、解決のターゲットにしていた課題はより大きな課題へと成長しただけだった。


これはたいへん示唆的な研究で、ノームの恐ろしさを物語っている。一度、形成したノームは同じ道を通っても戻らないのだ。医学的には、戻ることができる性質を可逆性、戻れない性質を不可逆性という。大事な変化を加えるときには、この可逆不可逆を意識することも大事だ。


麻酔科医は、いわばボディのノームを変えて、細胞たちを自律的に動かし、生命の恒常性を維持させている。まるで、細胞たちが「こうするのが普通だよね」と、当たり前に、こちらの望む動きをするように促すのだ。

麻酔科医による変化は、可逆的でなければならない。麻酔がかかったまま意識も、反射も、筋弛緩も、知覚も戻らなければ、ボディが日常生活にもどることはできない。麻酔は医療が加わる以前の状態に戻すのが基本という点でも、希有な診療科だ。


自分磨きと心理社会的環境 _ 本邦唯一、公衆衛生学と臨床医療に基づく健康経営コン
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