令和の若者に捧げるキャリア論
- Yoko Ishida
- 7 時間前
- 読了時間: 5分
ふと、日本のキャリア論って、古くない? ダサくない? って感じた。
そう感じたのは、昨年11月に北大生に「大学と社会」という講義を行ったからかもしれない。
以前から、令和の若者の合理性には、注目していた。
ところが日本のキャリア論は、いまだに団塊ジュニア世代が中心に語っている。
今の若い水夫たちに、響いているとは思えない。
そもそもキャリア研究は、心理学の一部として戦後、職業の適性をテーマとして発達した。
この辺は、キャリアコンサルタントの受験勉強で学んだけど、
今のリアルなワークライフに当てはまると、ピンとこないものばかりでもあった。
団塊の世代は、会社を愛するとのたまう、社会合理性。
彼らが若者として活躍する1970年代、企業社会を前提とするキャリア論が発達する。
出世、異動、管理職、人材育成……そんな話題が好まれた。
1976年、Douglas T. Hallが「プロティアンキャリア」として、
【キャリアは会社ではなく個人が作る】と言い出したときには、びっくりされた。
ええ?!キャリアって、会社があるからキャリアでしょ??!って時代だったから。
ちなみに、現在も我々が準拠する「労働安全衛生法」が公布されたのが同時代の1972年。
当時はフリーランスもITベンチャーも生成AIもない、重厚長大の世界。
そんな世界で、自己主導・内的価値・心理的成功なんて価値を語ったHall。
50年前、確かにプロティアンキャリアはぶっちぎりに新しかった。
時は流れて1996年、Arthur & Rousseauは「Boundaryless Career」を提唱。
会社を超えて「転職」「ネットワーク」「プロジェクト」でキャリアを作る。
私にとって衝撃だったのは、2011年、リンダ・グラットンの Work Shift。
気づけば、ワークシフトの中で描かれていた明るい未来の2025年は、すでに昨年。
長寿社会
ネットワーク型キャリア
複数の役割
学び続ける人生
100年人生
さあ、2026年ナウ、この世界は現実になってるか。
これまでのキャリア論から頭ひとつ飛び出ていた気がするし、
私がこれまで取り組んできたSDH(健康の社会決定要因)の中で、
最も大きな「孤独」と「貧困」に焦点を当て、それを「キャリア」で解決しようする姿勢は
私の現在の社会健康構造論に通じる。
キャリアは個人の能力ではなく、社会構造の中で形成される。
ところがリンダのワークシフトがあんなに流行った日本なのに、なぜか、
50年前のプロティアンキャリアが今更、最新自律キャリア論のように語られる。
「会社にはもう頼れない。個人がキャリアを作らなきゃ」と口先では言いながら、
バブルが弾けて就職氷河期、やさぐれてどうせ会社なんてモードにはいっちゃったのか、
終身奴隷の会社人間ではなく、会社の中で個人が自立・自律しようだったキャリア論が、むしろ、
会社に依存しながら会社を批判するという奇妙な他責社畜文化を生んだようにも見える。
さて、欧米で現在、注目されるキャリア論が、「キャリアエコシステム」。
プロティアンキャリアは会社からの自律、
バウンダリーレスキャリアは会社という境界を超える、
ワークシフトは年齢も超える、
でも、キャリアはやっぱり個人だけのものではなくて、【社会システム】の中でこそ価値を持つ。
つまり
教育
プラットフォーム
AI
地域
政策
健康
などが キャリアを構成する環境として扱われる。
これは、私の社会健康構造論、
すなわち正義の心理社会的環境が集団免疫的にキャリアを高めるという理論と相性がいい。
他に、
Longevity Career、すなわち長寿社会のためのキャリア、
Portfolio Career、すなわち複数の名刺を持つキャリア、
など、Work Shiftで提案された新しいキャリアの洗練が進んでいる。
これらの新しいキャリアを支える概念が Career Sustainability。
これは現代の産業保健にとっても非常に重要な概念。
私は【働き方改革】って表現がいけないと思っている。
【働き方】は、個人のものであって、会社が支配してはいけない。
だから多くの働き方改革は、結果、【働かせ方改革】にしかならい。
キャリアの持続可能性について、日本に多い誤解は、仕事は人をダメにするみたいな妄想。
仕事が健康を奪うみたいな都市伝説。
そんなことない、多くのエビデンスは、社会に役割がある方が持続可能性が高いと示している。
ここをアップデートできていないから、間違いだらけの健康経営が生まれる。
そして、5番目にAI Career。
AIに仕事を取られるんじゃない、嫌な仕事を飽きずに黙々と片付ける部下がみんなにできたのだ。
すでにかなり合理的な令和の若者には、実はキャリア論など不要かもしれない。
喫煙率は低く、健康意識は高い。
会社への忠誠よりも、自分の時間や人生を重視する。
無理な長時間労働や忖度、慣例重視の思考停止を美徳とも思わない。
だから彼らに伝えたい。
君たちの合理性は素晴らしい。
だけど、合理性だけでは、航海はできない、ということを。
キャリアは、個人の能力だけで決まるものではない。
教育、地域、政策、健康、ネットワーク、AI、そして時間。
こうした社会の構造の中で、人は初めて自分の能力を発揮できる。
社会健康構造論と呼んでもいい。
正義の心理社会的環境が整った社会では、人は互いに支え合いながら、集団免疫のように能力を高め合う。
キャリアも同じだ。
個人が努力して作るものだけではなく、社会構造の中で育つものなのである。
君たちは、どんな社会構造の中で生きたいか。
どんな教育環境か。どんなコミュニティか。どんな健康文化か。どんなネットワークか。
キャリアとは、職業の選択ではなく、環境の選択だ。 そしてその環境こそ、私たちの社会だ。




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