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0)はじめに

ちまたには科学的エビデンスのない健康情報があふれています。


私は公衆衛生学博士、労働衛生コンサルタント、そして麻酔科専門医という健康に詳しそうな珍しい資格を持っています。当然、たくさんの科学的エビデンスを知り、それに従って医療やコンサルティングを行なってきました。私が世に出した科学的エビデンスもあります。


そのためか、ズバリ「科学的エビデンスのある健康情報」を求められます。


特定の疾患リスクを低下させる科学的エビデンスは、数多く存在します。 たとえば「肺気腫にならないために喫煙を避ける」という情報には科学的エビデンスがありますが、「肺気腫にならなければ健康になれる」とか、「喫煙さえしなければ健康になれる」とかは、科学的エビデンスのない健康情報と言えるでしょう。


医学、心理学、社会学等、科学の世界で広く用いられる健康の定義が、WHO(世界保健機構)による「病気ではないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態」(日本WHO協会訳)です。

これは、肉体、精神、社会という独立する三科目の点数で合否が決まるという意味ではありません。

健康とは、生物学的な生命活動だけでなく、心理社会的なつながりによる関係性に対して、満たされているという主観的な実感によって得られる抽象的な概念なのです。

だから健康な人生の具体的な姿は多様です。

私が私のLIFE、人生、命に納得のいく状態なら、私は健康だと考えています。

病気があっても、弱っていても、つながりによって健康な人生が送れます。


そもそも健康や健康情報への欲求は、生物として存続するための原始的な本能ではなく、まさに心理社会的な想念です。

私たちは誰もが健康な人生を送りたいと考えますが、その具体的な人生像は多様で、全国一律健康テストで「肺気腫ではない」、「喫煙しない」とチェックして、何点以上が健康などと絶対化できるものではありません。


そのため、生命活動にとって有利な条件が科学的エビデンスとしてどんどん積み上げられても、科学的エビデンスのある健康情報という代物は、なかなか存在しません。

健康向上のきっかけに唯一絶対解はなくて、散歩の途中で出会った花のつぼみや、屋台からこぼれるおいしそうな匂い、そして大好きな人の笑顔など、多様で無限で有機的です。

医療は科学的エビデンスに基づかなければなりませんが、健康な人生は科学的エビデンスになど囚われない自由な発想とたくさんのつながりによって謳歌できます。


本書では、科学的エビデンスのある健康情報ではないけれど、科学的エビデンスに基づく、健康な人生につながる、有機的なマネジメントについて、お伝えします。



新型コロナウイルス感染症の流行は、地理や文化の異なる多様な社会に生きる、あらゆる人々の健康を脅かしました。多くの方々が直接の感染や発症によって生物学的な損害を被っただけでなく、社会に生きるすべての人々が無差別に、心理社会的なダメージを受けました。この社会現象は、健康を生物学的な側面からだけ捉えることはできないという当たり前の摂理を、私たちに気付かせてくれました。

社会は人の集合で、人と人、人と社会、社会と社会はつながってネットワークを形成しています。そのつながりゆえに私たちは社会全体で被災しましたが、そのつながりに頼ってこそ、復活の道が拓きます。多様な人とあらゆる社会は、絆や信頼というつながりによって、疾病や不況などを予防する抵抗力を獲得し、それぞれの生命力を強めることが、社会疫学研究によってわかっています。

格差が少なく結束の強い社会が、人々の健康に好ましい影響を与えるという科学的エビデンスです。


株式会社心陽はユヌス・ソーシャル・ビジネス・カンパニーとして、この心理社会的集団免疫と表現できるような自然の神秘を活かし、医療と公衆衛生、特に麻酔科学と社会疫学、そして産業保健学(労働衛生)のエッセンスを効かせて、つながりに注目して健康を向上するマネジメントを提唱してきました。


健康向上という目的は、医療と公衆衛生に共通しますが、その対象は個人と集団という違いがあります。たとえば、個人の生物学的な免疫獲得と社会が集団免疫を獲得する科学的プロセスはまったく異なりますが、どちらも健康向上に貢献します。


国や企業など、特定の集団を管理する組織に対して、社会全体をより良い方向に変えていく健康関連の具体策を提案し、その実行を支援するのが公衆衛生活動です。私の関わる社会疫学や労働衛生は、公衆衛生の領域です。この具体策がユニバーサルで持続可能な全体最適解であると、管理組織に納得させるための根拠となる知見が、科学的エビデンスです。この科学的エビデンスを、明確に規定された集団の多様性から導き出す科学が、疫学です。

症例を集めて分析し、医療分野で社会に貢献する科学的エビデンスを構築するのは疫学研究です。公衆衛生活動や臨床医療には、具体策や治療の妥当性を支える科学的エビデンスが必須です。


臨床医療は科学的エビデンスに基づきますが、目的は健康な人生なので、実践は個別の多様性に対応するオーダーメイドです。属性や診断名など生物学的および診療科学的な因子はもちろん、時代やコミュニティ、経済状況や価値観など心理社会的な背景によって、個人によって最適な臨床医療のかたちは多様です。最高の医療は十人十色、オーダーメイドで一期一会の最適解なのです。


私は手術室の麻酔科医として、このオーダーメイドの最適解を求め続けてきました。


麻酔管理は、手術ごとに、非生理的な状況下で、限られた時間内に、個別の生命の恒常性を維持するという、一期一会の粋です。

麻酔科という診療科の特殊性から、救命救急やICU管理など高度急性期医療のスペシャリストは多く、新型コロナウイルス感染症臨床においては、多くの施設で重症患者の気管内挿管や人工呼吸器管理を受け持つなど、最前線で体を張って活躍しました。

一方、公衆衛生家たちは世界や国という管理組織に対し、再生産数や集団免疫閾値、新しい働き方など、科学的エビデンスに基づくユニバーサルな対策を提案し、実行を支援して、上流で専門性を発揮しました。

麻酔管理をはじめとする急性期臨床の場は医療の最前線、命の川の最下流です。上流から流れてくる溺者を社会に戻す最後の砦です。ひっきりなしに流れてくる溺者を、引き上げては蘇生させるくりかえしです。

そんな日常で、どんな臨床医でも一度は、溺者が流れてくる理由や過程に、ふと思い至ります。しかし、目の前で助けを求める人に夢中で治療を行ううち、浮かんだ思いは消えてしまうことが多いものです。

私の場合は、誰が、なぜ、どこで溺れて流れてきて、誰が流れてこないのか、そして川に溺れて流されない人々はどんな生活をしているのか、そもそも医療機関の脇を流れる川は、社会のほんの一部にすぎず、川の外側にいる人のほうがずっと多いのではないか……と、命の川の上流や、川以外の世界への興味が、じわじわと膨らみました。

そして、科学的エビデンスに基づき、生命の恒常性維持という絶対的な使命のため、個別の最適解を求め続ける麻酔科医は、新米産業医として外の世界に一歩、踏み出しました。手術室から出た私は、科学不在で場当たり的なデタラメのマネジメントに驚きましたが、それ以上に、いきいきと生活する人や組織の生命力に圧倒されました。川の下流では、科学的エビデンスでも救えない命があったのに、川の外では科学的エビデンスがなくても、命がギラギラと輝いていたのです。

ここに科学的エビデンスの強みや生命の神秘を加えたら、もっと強靱で持続可能な生命力につながるはずだと確信した私は、集団の生命力を科学するために公衆衛生を学び、鍵はつながりにあると気付きました。


多様性を無視して、測定値を無機的に平均化する、機械の性能制御のようなマネジメントが、ある時代、ある組織には、有効だったかもしれません。しかし現在の多様化する社会には、そして将来、もっと多様化していく社会には、持続可能性の高い、有機的なマネジメントが求められると考えています。

約40兆の細胞が、組織、器官と階層を重ねて集合して人体となるように、人が階層的に集合して組織となります。細胞や人は各自が多様な生命力を持ちながら、つながりあって人体や組織の生命力に関与します。この自律分散システムを活かした血の通ったマネジメントは、日本古来の、互助や絆、禅や礼節など、自然と共存し、つながりを重んじ、組織全体を最適化する文化と相性抜群です。

健康経営Ⓡの取り組みの多くは医療色が強く、労働者個人の疾病予防や健康管理が主流です。企業が従業員の医療に主体的であることは、コラボヘルスや医療費削減の観点ではすばらしい効果を期待できます。ただし健康経営は、従業員の人的資本に投資することで組織の資本を拡張する、組織の生産性向上を目的とするマネジメント戦略です。せっかくなら組織というつながりを活かした、心理社会的な健康向上を目指すべきでしょう。


集団のマネジメントには当然、公衆衛生家が有用ですが、麻酔科医もなかなか役に立ちます。実は、患者個人への医療以外に、医療機関における集団のマネジメントを担う機会が多いのが、麻酔科医の特徴です。個人を対象とする臨床麻酔管理においても、個別の疾病には注目せず、外科手術という環境に応じて、全身をひとつの自律分散システムとして扱います。そのため麻酔科医は標的臓器や疾患の各論ではなく、全身の標準生理を最も得意とします。病変部位ではなく全身を扱う珍しい診療科なのです。

科学的エビデンスに基づく有機的なマネジメントの具体策を、多様な組織にオーダーメイドでご提案するのが株式会社心陽です。オーダーメイドの医療に科学的エビデンスという骨格があるように、このマネジメントのエッセンスは、健康な人生につながる日常的なコツやヒントに満ちています。

多様な生命力をつなげて立ち上がる特別な時代を社会が迎える今こそ、株式会社心陽独自の有機的なマネジメントをご紹介したいと考えました。あまり知られていない麻酔科医の生態や人体の標準生理、公衆衛生の先行知見などを通して、生命とつながりの神秘をお楽しみ下さい。

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