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医療機関・企業間の診療情報の取扱

医療機関と企業の治療と就業の両立支援のための連携、特に診療情報の取り扱いについて、まとめておきます。


私は、治療と就業、どちらを支援する文脈においても、企業と医療機関が連携するべきタイミングは「少ない」と考えています。企業および医療機関は、それぞれ従業員・患者本人とは、非常に強い契約関係にあり、本人のBPSヘルスに多大なる影響を持ちますが、その契約は独立しています。

しかし、治療のためにも、就業のためにも、企業と医療機関が連携するべきタイミングは、確実に存在します。

そのタイミングはいつか、そのタイミングにはどうふるまえばいいのか、を考察しましょう。

診療情報の主たる持ち主は患者本人ですが、その上に情報の非対称性があることから、本人の同意を得て、本人の家族や勤務先等に、本人の求める範囲内で診療情報を提供する場合があります。

これは、本人の情報の非対称性を助けるために、いわば通訳として、医師が本人の治療や生活に密接にかかわる人々に診療情報を説明するという意味合いです。


実は、医師はその教育の過程で、診療報酬制度や診療情報の提供の是非について、体系的に学ぶわけではなく、多くの場合、実務や判例を通じて経験的に、許される範囲、グレーゾーン、絶対NGの情報提供を学んでいきます。

医師は、勤務先医療機関のルールに従う必要がありますが、企業のルール同様、完璧に把握されているわけではありません。企業の一方的な申し出によって、従業員としての主治医に服務規程を破らせるリスクもあります。


要配慮個人情報であるにもかかわらず、情報の非対称性から、所有する患者本人が正確、明確に理解、説明できない可能性が高いという点が、診療情報の特殊性です。

診療情報は、その持ち主である患者には知る権利があり、知らされているはずですが、患者本人にとって扱いやすい情報ではありません。

患者本人には自分の診療情報を知る権利があり、医師には伝える義務がありますが、患者本人は勤務先に自分の診療情報を伝える義務はありません。

義務はないけれど、本人は善意で、社内規定遵守や自己保険義務として、会社に診療情報を提出します。

医師が患者本人を飛び越えて、勤務先に診療情報を伝えたら、守秘義務違反です。同じように、もし医療機関が、照会に応じて、勤務先に診療情報を伝えたとしたら、守秘義務違反にあたるリスクがあります。

本人の希望があって、医療機関に診療情報を照会する場合であっても、本人の同意書を添える、本人に診察時に依頼書を手渡しさせる、診察中に記入できる分量を求め、本人が返信を診察中に受け取るなど、本人の同意が医師に明確に伝わるような方法を取ってください。

医師・医療機関側は診療録にその旨を記載し、渡した書類を診療情報として医療機関に保存しましょう。


従業員と主治医(医療機関)との間には患者・医師という治療関係があり、従業員と企業には雇用関係がありますが、主治医(医療機関)と企業には、特に社会的な契約関係はありません。

また、産業医と企業の間には契約関係がありますが、産業医と従業員は直接契約関係というよりは、産業医と企業の契約の中に各従業員へのケアが含まれているという関係です。労働安全衛生法上、事業者(企業)が産業医に必要な業務を行わせることが定められています。

主治医と企業には直接の関係がないので、主治医の提案に企業が従う義務はありませんが、専門家の意見を尊重して、その提案に従う判断をする場合に対して、従わない判断をする場合には、その妥当性が必要になります。

特に、就業規則に、治療に関連する労務上の制限について、主治医の診断書の提出を定めている場合、従業員が規定通り提出した診断書の内容を無視する合理性を証明するのは難しいでしょう。

診断書のある時点で安全配慮義務と同時に合理的配慮義務が発生し、その診断書の内容に従わない妥当性を証明することは、ほぼ不可能でしょう。

とはいえ、企業の経営上、できないことはできないので、「落としどころ」を探る工夫は必要になります。

法令はもちろん、社内規定との矛盾は有効な理由になりますので、普段から、妥当な社内規定の作成につとめましょう。


厚労省作成のマニュアルや産業医視点の資料などには、医療現場の役割や現実を考慮しないアドバイスが散見されます。そういう資料は、企業担当者や産業医向けであり、臨床医の意見が入りにくいのかもしれません。

企業の従業員対応に関する判断の是非を主治医に仰ぐよう、企業担当者に勧める傾向も見られますが、主治医が本来の業務である治療に専念できるよう、余計な邪魔をしないようにしましょう。


たとえば、こちらの厚労省のページには、

「実際には、本人に知られないほうがよいと思われることや本人を前にしては話しづらいこと(たとえば、日頃から本人の業務遂行能力が低い、同僚から信頼を得ていない)を【会社が主治医に本人の同意を得ないで】伝えたい場合もあるでしょうが、本人が同意しない限り、主治医の多くは連携を好まないのが現状です。」(【】内は、石田が追加)

とありますが、あたかも、医療機関と企業の連携が取れない責任を、主治医の好き嫌いのせいにするような表現です。企業の担当者が参照するページなので、主治医は見ないと思いますが、臨床医に対して失礼極まりない表現です。


このページには他にも、「主治医との接触には、通常本人の了解が必要」という表現があり、不要な場合も多々あるように誤解されやすい表現です。

医療機関は治療の場です。主治医は患者本人にとっての主治医であり、患者の勤務先とは関係がありません。

本人の了解なく、本人の主治医と接触しないでください。その原則を破るには、妥当な理由が必要です。

日頃から繰り返していますが、ルールが絶対で、ルールを守るのには理由はいりませんが、その原則を破るときには、相当な理由が必要です。

たとえルールそのものの妥当性が議論されている途中だとしても、そのルールの施行中に、原則を破る場合には、明快な理由が必要です。


日頃から業務遂行能力や同僚との信頼関係の構築能力が期待値以上に低いため、労働契約上に説明のつく適切な処分としてマイナス評価をするのは企業として当然の態度ですし、それを恨みに思われたとしても、ルールに従って従業員を管理した企業に落ち度はありません。

それを企業からの不利益取り扱いとして、そのせいで心身に不調をきたしたと診察室で主治医に訴えて、主治医が要休業と診断したとしても、企業の正義についての措置ではないので、企業は正々堂々としていればよいのです。


もし診断書に、「患者の直上長に、3ヶ月間の2割の減給が必要」が書いてあったとしたら、どうでしょう? 

産業医の立場で、私なら、その提案は無視すると同時に、この主治医に従業員の治療を任せておいて大丈夫か不安なので、従業員に対する療養の提案に従った旨のみ報告するかたちで、主治医に連絡を取るでしょうね。主治医の反応によっては、別の主治医を見つけるよう従業員を説得するかもしれません。実際に、似たような診断書が出た事例はあるそうですが、従う必要はありません。喧嘩する理由もないので、「ご助言ありがとうございます」とにっこり笑って無視しましょう。

本人の措置に関する医師の提案には専門家の専門性が発揮されているでしょうが、他者の人事に関しては素人です。従わない理由は不要ですが、万が一文句を言われたら、「医師法第二十条を参考に、先生が自らご診察くださった従業員についてのご意見だけを参照にします」と言い返しましょう。

とはいえ、お互い時間の無駄なので、できるだけ喧嘩はしないでそっと無視、がオススメです。


主治医はあくまで目の前の患者の治療に尽くします。話を聞いて、「職場環境に対する不平不満が募っているが、それが現在の治療を要する症状の直接の原因ではなさそうだ」と感じたとしても、納得して治療に専念してもらうために、本人の希望を受けて、企業に治療上、自宅療養が必要と知らせることは多いです。

治療には、薬剤性肝障害を疑う場合、確定診断には休薬による症状の改善が必要なのと同様に、原因を隔離する方法がありますが、自宅療養にはそれだけでなく、時として、患者と医師との治療関係を確立していくプロセスとしての意味合いがあるのです。

少なくとも自宅療養が禁忌となる疾病はありませんので、本人が就業規則の範囲内で療養を強く希望し、それを全否定する理由がなければ、主治医は患者に味方します。

反対に、職場環境との隔離が望ましいと考えて提案しても、本人の同意なしに、その旨を企業に伝えることはしませんし、できません。

「この診断書は本人の希望に基づいて書かれたのではないか?」と批判する担当者がいますが、すべての医療行為は本人の同意のもとに行われます。


たしかに、本人は診療中、主治医が現実を知らないのをいいことに、自分の勤務態度を棚に上げて、職場の悪口ばかりをあげつらい、自分の不調は職場環境が悪いせいだと訴えて、休職の診断書を書くよう頼んだかもしれませんし、本人の働きぶりや人望を知る職場の上長の視点では、それは「嘘」かもしれません。

だからといって、企業から、「先日受診した患者は嘘をついている」と医療機関に連絡するのは診療妨害なので、やめてください。


日常診療において、「風邪をひいて咳が出るので、咳止めをください」、「胃が痛いので、痛み止めをください」と訴える患者が風邪をひいていなかったり、胃は悪くなかったりすることはしょっちゅうで、彼らは嘘をついて、医者を騙したいのではありません。その背景にある真の主訴、真の病因を見極めて適切な治療をするのが診療です。医師と患者の関係の中で、企業を大げさに批判したからといって、その時点では企業に迷惑はかかりません。

SNSに企業の悪口をあげるのとは、ちがいます。医師の守秘義務を信じてください。


医師には、診療情報を含む、医師・患者関係において知り得た情報を、原則として患者本人以外に漏洩してはならないという医師の守秘義務があります。


医師の守秘義務は、第一に医師の倫理上の義務で、古くは、「ヒポクラテスの誓い」において、「治療の機会に見聞きしたことや、治療と関係なくても他人の私生活について洩らすべきでないことは、他言してはならないとの信念をもって、沈黙を守ります」、また、1948年に世界医師会(World Medical Association;WMA)によって採択されたジュネーブ宣言においては、「私は、私への信頼のゆえに知り得た患者の秘密を、たとえその死後においても尊重する」と述べられています。


第二に、医師の守秘義務は法的義務で、プライバシー侵害や要配慮個人情報保護という論点で民事上の裁きを受けるほか、刑法上の明文として規定されています。


 刑法134条(秘密漏示)第1項


医師、薬剤師、医薬品販売業者、助産師、弁護士、弁護人、公証人又はこれらの職にあった者が、正当な理由がないのに、その業務上取り扱ったことについて知り得た人の秘密を漏らしたときは、6月以下の懲役又は10万円以下の罰金に処する。


本人が診療中に企業にとって不名誉な発言を医師にしたとしても、医師を通じてその発言内容が世の中に出ることはありません。

「従業員が嘘をついていたらどうするんですか?」と、企業担当者が謎の目くじらを立てるのは無駄です。いいじゃないですか、診察室で嘘ついたって。家庭で愚痴るより刑法の制約がある分、安全です。


同一の患者と治療関係を結ぶ医療機関間では、治療の一環として診療情報提供料という保険点数を算定した診療情報の提供が認められています。

医療機関間の診療情報の授受は、れっきとした医療行為として認められており、その目的が明確で、情報の非対称性が小さく、互いの専門性を客観的に把握でき、双方に医師の守秘義務があります。診療が進むだけでなく、全員の安心と効率化に繋がる場合が多く、非常に有意義です。

本人の同意は必須ではありませんが、本人の同意なく治療することも、本人の申告なく、他の治療関係を知ることも不可能ですし、郵送やFAXを用いる場合もありますが、たいていは本人が診療情報提供書を未開封の状態で提供元医師から受診時に受け取り、提供先医師に手渡すことが多いので、本人の知らないうちに、医師(医療機関)同士の連絡が行われることは、現実的ではありません。


一方、自宅療養(企業にとっては休職)や時間外労働禁止などの就業制限を治療上の必要として提案する主治医の診断書を、従業員が企業に提出することがあります。

患者が医師に、勤務先に提出する目的でなんらかの文書を作成するよう要求し、それに主治医が答えて従業員に書面を手渡し、その書面を従業員が自らの意思で勤務先に提出した場合には、正当な理由がないのに秘密を漏らしたという医師の守秘義務違反には当たりません。

しかし、この文書作成は、医師間の診療情報の授受とは異なり、診療行為とは認められませんので、診療報酬は算定されず、医療機関にとっては持ち出しの業務になります。つまり、医療機関から企業への文書は、善意なのです。


診療情報提供には古くから、このように患者をハブとする自律分散型の情報共有手段が取られてきました。

医師を対象にした経産省のアンケートでは9割近くが、正確に患者の状態を把握でき、効率よく診察できるようになるとの期待から、健康アプリなどのデータを診療の参考にしたいと回答しました。

同じ文脈で、患者の社会的所見、すなわち企業から提供される職場環境や勤務状況に関する情報は、診療に有用です。

原則として、企業が従業員の診療情報を知る必要はないと考えますが、企業が社会的な情報を本人経由で医療機関に提供してくださるのは歓迎です。


そのような意味合いで、悪性腫瘍、脳血管疾患、肝疾患、指定難病、心疾患、糖尿病、若年性認知症の治療では、企業から提供された勤務情報に基づき、患者に療養上必要な指導を実施するとともに、企業に対して診療情報を提供した場合、また、診療情報を提供した後の勤務環境の変化を踏まえ、療養上必要な指導を行った場合に、医療機関は保険診療として療養・就労両立支援指導料を算定できます。


初回:800点(情報通信機器を用いて行った場合:696点)


  1. 患者と事業者が共同で勤務情報提供書を作成する

  2. 勤務情報提供書を主治医に提出する

  3. 患者に療養上必要な指導を実施する

  4. 主治医が企業に対して診療情報を提供する(AもしくはBによる) A) 患者の勤務する事業場の産業医等に対して、就労と治療の両立に必要な情報を記載した文書の提供を行う。 B) 当該患者の診療に同席した産業医等に対して、就労と治療の両立に必要なことを説明する。   ※産業医等:産業医、保健師、総括安全衛生管理者、衛生管理者、安全衛生推進者、衛生推進者

適応病名以外の場合、保険診療料は算定できませんが、勤務情報提供書により患者に療養上必要な指導を実施できる可能性は、どの疾病でもありますので、医療機関に診療情報を照会するのではなく、医療機関に勤務情報を提供する、医療機関に必要な勤務情報を照会するのなら、本人の同意を得た上で行う合理性はあるでしょう。


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