株式会社心陽

人的資本(Human Capital)とソーシャルキャピタル(社会関係資本)

人的資本とはなにか? 

「人的資本経営」という言葉が流布しはじめたころ、経済産業省にHuman CapitalとHuman Resourceの混同があるのではないか、と質問したことがありますが、質問の意味がわからないと切り捨てられました。
当時から、ますます「人的資本経営」という表現が流行っている影響で、人的資本に対する関心は高い一方で、人的資本が正確に表現されている場面に遭遇する機会は、ごく少ない。

人的資本は、個人が所有している資本で、生まれた土地や学歴、預金高、不動産などは定量しやすい人的資本だが、「人脈」はどうか、というと非常に難しい。その「人脈」の対象となる友人に対して感じている「友情」、「信頼」、「親しみ」などの経験及び感情は紛れもなく人的資本だが、人脈において自分と相手の人的資本の関係性によって、それが「人的資本」か、「社会関係資本」か、の境界は難しい。

この無形かつ境界の難しい人的資本と社会関係資本に対して、互いの認識に差があった場合、ストーカーやハラスメントなどの犯罪のフラグが立つリスクさえある。

私は従業員の人的資本に投資して、企業が社会的価値を高める健康経営において、企業がその企業の従業員にしか与えられない最高に価値の高い人的資本が、その企業の従業員であるというメンバーシップだと考えている。
その企業の従業員であれば、人的資本としてメンバーシップが与えられると考えると、メンバーシップというものは個人の中に閉ざされた人的資本ではなく、企業というコミュニティの共有財産、社会関係資本としての性質も持つと考えられる。

だから、「健康経営」、「人的資本経営」の価値が無限なのだと表現してもいいだろう。

ソーシャルキャピタルと人的資本の違いと共通点

資本という言葉から想像するとおり、人的資本という言葉は経済学から生まれたものだが、本来、経済学に登場する人間は、非常に合理的な存在である。

学問が発展するためには、必ずこのような合理的な前提が必要で、たとえば物理学の法則においては、重力や摩擦が「存在しない」と仮定されることが多く、たとえば化学の世界で「水」とは、純度100%のH2Oと仮定されるが、それらはあくまで科学を進展させるための非現実的な仮定であり、我々生身の人間が、リアルワールドで目にすることは決してない、理想の状況である。

しかし長らく経済学では、まるで重力や不純物のない世界のように、人間が合理的なふるまいをすると信じられてきていて、ここ50年ほどの行動経済学の台頭により、非現実的な合理的エコノではなく、不条理を生きるあやふやなエコノのバイアスに焦点が当たってきた。

今日もらえる1000円と来年もらえる10000円、冷静に考えれば来年10000円もらうほうが生涯を通じては得なのに、今日の1000円を選ぶのが我々ヒューマン、そんなヒューマンのキャピタルであるヒューマンキャピタル、人的資本だが、意外にも古典的な概念で、本来の人的資本理論は、人間が合理的に行動することを前提とする。

長く、社会学も経済学も人間の合理性を前提にしてきたが、人々や組織間の相互の信頼やネットワークなど、社会的なつながりや関係性によって形成される、無形のインフラのような資本をソーシャルキャピタルと呼ぶが、日本語で社会資本とすると、それこそ水道やガスなどの有形なインフラとの区別が難しいので、社会関係資本と訳されるようになった。

人的資本は経済学、社会関係資本は社会学から発展してきた。

私が経産省にした質問の本質は、経済産業省が当初示していた従業員の人的資本の集計を、会社の資産と

が、現在は「人的資本経営というように、この2つの資本はそれぞれ置かれている学問が異なる。故に個別に学ぶ機会があったとしても、2つの資本を比較して、相違点や共通点を考察することはないかもしれない。

 だが実は、人的資本と社会関係資本は密接な関係にある。何かで成功するためには人的資本と社会関係資本の両方が必要であり、2つの資本には相互補完効果がある。社会関係資本は人的資本の形成を醸成し、同時に人的資本から新たな社会関係資本を築くこともできる。

社会関係資本とは何か

 社会関係資本は社会学から生まれた理論である。社会学では、個人は社会の一員として社会的なネットワークやコミュニティーの文脈・コンテクストに埋め込まれており、個人の行動や意思決定は社会の規範や慣行に影響され、規定されると考える。

 社会と個人のつながりの重要性は、アリストテレスの哲学にまで、さかのぼることができる。アリストテレスは、人間はその本性により、社会的動物(social animal)であるとした。16世紀の詩人・作家ジョン・ダンの“No man is an island”というセリフのごとく、人間は孤島のように単独で生きるのではない。個人の存在は社会的な環境と密接に結びついており、他人とのつながりが人間の生活に不可欠であることを強調した。

 社会学で想定する人間像はhomo sociologicusと称し、人間の行動は個人が置かれた社会の規範や価値観、個人が達成した社会的地位など、社会的要因の複雑な相互作用によって形成されると仮定する。homo sociologicusは、アリストテレスのsocial animalの現代版と言えるだろう。